金鑵城

別名 金釣瓶城 付近住所 小野市新部町 現在 夢の森公園
案内板アリ 日本城郭大系


中村氏 当城は青野ヶ原台地上の遠望がきく要害の地を選んで築かれた山城です。ここからは河合城、堀井城、小堀城など室町時代から戦国時代にかけて市内に築かれた中世城郭を見渡すことができます。城主は播磨を治めていた赤松氏の有力な家臣、中村氏とされ後に三木城の別所氏の持城となっています。台地の先端部に「主郭」と「西の郭」がありその間には幅約20m深さ9mの堀切が掘られ木橋が唯一の通路となっていました。主郭は東西50m南北80mの規模で周囲には土塁と呼ばれる土の壁がめぐらされていました。北西部に土塁が途切れるところがあり城内への入口、虎口と考えられています。そこから城内に入ると礎石建物(建物跡13)、倉庫施設、煮炊き施設、集石遺構などありました。また北東隅部からのびる尾根の先端部には見張りのための櫓が設けられていました。城内からは、甕(かめ)、壷、擂鉢(すりばち)など陶器、茶碗などの石製品、土錘(どすい)などの漁労具、刀、鞘(さや)、笄(こうがい)などの武具類、瓦、釘、壁などの建築材、硯、水滴などの文具類や銅銭など多様な遺物が出土し当城が長期間にわたり武士達の生活と防御の場になっていたことがわかります。

復興櫓